曰く、1972年の『死にかけた日本語』(集英社)で指摘されているのが早いとのこと。それから、「汚名挽回」が誤用説がバーッ!っと広まったとかなんとか。
別の人から言わせると、あくまで「汚名挽回」と、使われているというだけで、正しいというわけではないとか。
まあ僕からすれば、正直、言語は変化するものであり、風潮としてそれを誤用とするなら誤用でいいと思います。正直「ら抜き言葉」を使用するのもいちいち指摘したいとは思いません。
以前きいた話に、一つ、こんな話があります。
──英語はシェイクスピアの時代からあまり変わっていない──
シェイクスピアの時代と言われてもいまいちピンとこないですが、シェイクスピアの生まれた年は1564年(ヒトゴロシ)なので、ここ400年あまり変わらない言語ということですね。
その理由は単純で、「シェイクスピアの作品が好きだから」らしいです。
言語は変わるものであるのに、近年よく日本語のちょっとした変化が取りざたされるのはそういうものなのではないかと思います。日本人も美しく好きな美しい言語を残したいという意志の表れなのだと思います。
僕もその気持ちはわかります。言語や文化はそもそも変化するものだし、変化することで残っていくものだとは知っているし、いちいちいわゆる「間違った日本語」を指摘したりはしませんが、自分で使うのであればきれいな日本語を使いたいです。
小説が好きだからなのかはわかりませんが、僕は美しいから日本語が好きです。
その理由は単純で、「シェイクスピアの作品が好きだから」らしいです。
言語は変わるものであるのに、近年よく日本語のちょっとした変化が取りざたされるのはそういうものなのではないかと思います。日本人も美しく好きな美しい言語を残したいという意志の表れなのだと思います。
僕もその気持ちはわかります。言語や文化はそもそも変化するものだし、変化することで残っていくものだとは知っているし、いちいちいわゆる「間違った日本語」を指摘したりはしませんが、自分で使うのであればきれいな日本語を使いたいです。
小説が好きだからなのかはわかりませんが、僕は美しいから日本語が好きです。
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