2015年9月13日日曜日

世界の空港に残る偉人の名前

一体どういうことなんだ!
一日にしてTwitterのTL(タイムラインのこと)が「艦これ」で埋まらない日がないぞ!!

…えー、お久しぶりです、ご無沙汰しております。海軍大佐…でいいのかな(汗)です。

大学入って当初は授業の多さに暇なんかないとかTwitterでほざいておりましたが、夏休みに入ってからはバイトもろくにせずに暇してます、ハイ。

ちゃんと考えてますよ、バイト何しようか、とか。







さてと、本題に入りますかね。冒頭で「艦これ」の話が出ました。別にdisってるわけじゃないんですよ、嫌いでもないし。あれの航空機版出ないかな~と期待していたりします。

あれ見てると、艦船の名前って、やっぱり地名とかに因んで名付けられているんですね。(一部例外がある模様ですが)

繋ぎが強引ですが(笑)今回は「世界の空港に残る偉人の名前」、タイトル通りに進めていきたいと思います。

意外にも空港名に偉人の名前が付けられることって多いんですよ。場所によっては歴史的に名高い人物の名前が使われていることもあります。今回はその中からいくらかをピックアップして皆さんにご紹介しましょう。

1.ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)
フィリピンの首都、マニラの空の玄関。日本からは東京・羽田、東京・成田、大阪、名古屋、福岡から直行便が飛んでいます。開港当初はマニラ国際空港と呼ばれていました。元々フィリピンが独裁政権下にあった頃、ニノイ・アキノ(ニノイというのは愛称らしい)上院議員は国民に人気があり、時の政権を握っていた大統領からは快く思われず、反政府勢力の筆頭として危険人物扱いされ投獄、病気の治療という名目でアメリカへ国外追放されてしまいます。その後、帰国する決意をしたニノイ・アキノは、「空港に着いたら何かが起きる、殺されるかもしれない」、といった予言めいたことを口にしつつ、1983年8月21日にマニラ国際空港にジャーナリストとともに到着します。ところが、到着後の機内に兵士(を装ったとみられる男)二人に機外へと連行されてしまいます。親族がそれに続いて降りようとすると、兵士に「座っていろ!」と怒鳴られます。異変を感じた報道陣はカメラを回し続け、ニノイ・アキノがボーディング・ブリッジの外の階段へ連れられて行く様子が後に有名になります。外へ連れられたニノイ・アキノは、空港職員になりすまして待ち構えていた男に狙撃され死亡、警備に当たっていた兵士(こちらは本物)と短い銃撃戦の末、狙撃犯を射殺するといった、歴史的に有名な事件が起こった舞台でもあります。その後、このニノイ・アキノの功績が称えられ、空港名が改称され、今に至ります。ちなみにターミナルの施工からメンテナンスまで手抜きが見られたり、鉄道網が整備されていない上に空港への道路は慢性的に渋滞が発生するといった、フィリピンらしい(?)クオリティの空港に仕上がっています。

2.スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)
インドネシアの首都、ジャカルタの空の玄関。日本からは東京・羽田、東京・成田、大阪から直行便が飛んでいます。元々ジャカルタには、この空港の他、既に2つの空港が存在していましたが、島国であるインドネシアでは航空機による離島間輸送の需要が高まり、既存の2つの空港では対応できなくなったため、1985年にこの空港が開港しました。第二次世界大戦中にオランダの領地だったインドネシアが終戦直後に独立した際、独立を宣言する書類に署名した、インドネシアの初代大統領スカルノと、初代副大統領のモハマッド・ハッタから、それぞれの名前を取り、スカルノ・ハッタ国際空港となりました。インドネシアの航空会社は「安全性に問題がある」として、EU圏内に就航することができない「ブラックリスト」のようなものに登録されていましたが、インドネシア国営のガルーダ・インドネシア航空が最新の機材を発注するなどで、「ブラックリスト」から外れ、ヨーロッパ就航が実現した他、格安航空会社の就航などで需要がさらに増え、2013年には世界で10番目に年間旅客数が多い空港になりました。その数は6,000万人にも上り、南半球では最大となりましたが、一方でその数はターミナルなどのキャパシティーを上回っており、既存のターミナルの改修や新ターミナルの建設などが予定されています。

3.インディラ・ガンディー国際空港(デリー)
インドの首都、デリーの空の玄関。日本からは東京・成田から直行便が、大阪から経由便(香港経由)が飛んでいます。人口の増加と経済成長が著しいインドの玄関口で、西アジアという立地条件も相まって、アジアや中東、ヨーロッパを始め、北米、オセアニア、アフリカからもフライトが乗り入れています。空港の名称は、インドの初代首相の娘で8代首相のインディラ・ガンディーから来ています。ちなみにインド独立の父と呼ばれている「マハトマ・ガンディー」とは血縁関係すらないそうです。

4.テンジン・ヒラリー空港(ルクラ)
ネパール東部の山奥、ルクラの町にある空港。日本からの直行便はありません。ルクラの町はエベレストへの登山口としても利用されるため、ネパールの首都カトマンズからは定期便が就航し、登山客のみならず、山間部で暮らす人々のための物資の輸送拠点にもなっている空港です。当初はルクラ空港と呼ばれていましたが、1953年にエベレストの初登頂に成功したテンジン・ノルゲイ(チベット人)とエドモンド・ヒラリー(ニュージーランド人)の功績を称え、2008年にテンジン・ヒラリー空港に改名しました。山間部にある空港ということで、山の急な天候の変化などがあれば定期便もすぐに欠航になる上、小型機でやっと降りられる500m弱の滑走路は北に向かって坂道のように傾斜があり、滑走路の両サイドも断崖絶壁になっているため、高難易度なアプローチが要求され、ある番付番組では、世界で最も危険な空港ランキングワースト1位にランクされる始末。危険な立地条件や山間の読めない天候などで、これまでも度々事故が起きている「危険な空港」となっています。

5.チンギスハーン国際空港(ウランバートル)
モンゴルの首都、ウランバートルの空の玄関。日本からは東京・成田から直行便が飛んでいます。チャーター便などで東京・羽田や大阪からのフライトが飛ぶ時期もあります。2005年にモンゴルが建国800年を迎えたのを記念して、モンゴルの創始者ともいえるチンギス・ハンからとって、空港名をチンギスハーン国際空港としました。モンゴルの国内線と東アジア・ロシアへの国際線が数便ある程度ですが、滑走路の延長上に山岳地帯が聳え、離着陸に制約がある上、悪天候の影響をもろに受けやすく、空港のキャパシティの割に便数が少なすぎる、といった意見も出ているほどです。そのため、現在この空港よりも南に新空港を建設する計画があり、これには日本側も支援しているとのことです。

6.シャルル・ド・ゴール空港(パリ)
フランスの首都、パリの空の玄関。日本からは東京・羽田、東京・成田、大阪から直行便が飛んでいます。パリに4つある空港の中でも最大で、2008年の統計ではロンドンのヒースロー空港に次いでヨーロッパ第2、世界でも6番目の年間利用旅客数(約6000万人)を記録し、ヨーロッパのみならず、世界でも有数の航空便の拠点であり、大都市パリを支えています。滑走路が4本もありますが、発着回数もヨーロッパで一番多く、忙しい空港です。1974年に開港したこの空港は、建設当時のフランス大統領で、フランスの植民地であったアルジェリアの独立戦争で混乱していたフランスを立て直した、シャルル・ド・ゴールからとって、シャルル・ド・ゴール空港となりました。都市部と近いことからアクセス面もよく、ヨーロッパ各国の主要都市を結ぶ高速鉄道も停車します。

7.サン・テグジュペリ国際空港(リヨン)
フランス南東部の観光都市、リヨンの空の玄関。日本からの直行便はありません。旧市街が世界遺産に登録されている点などで観光都市としても知られている一方、フランスの銀行の支店が多数みられるなど、金融都市としても機能しています。あの「星の王子さま」の作家で知られるアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリがリヨン出身であることに因み、2000年に現在のサン・テグジュペリ空港と名付けられました。2007年には国際線の増便などで、フランスで4番目に利用客が多い空港になっています。

8.ジョン・レノン空港(リヴァプール)
イギリス西部の大都市、リヴァプールの空の玄関。日本からの直行便はありません。海に面していることから、貿易の拠点でもあり、旅客船の運航もされている港湾都市として発展した他、大学などの教育機関も充実し、強豪サッカークラブの本拠地としても有名です。また、世界的ロックバンドであるビートルズの全メンバーの誕生の地でもあることから、ビートルズでヴォーカル・ギター・作詞作曲をし、1980年に殺害されたジョン・レノンの功績を称え、2002年にその名前が空港名に付与されました。この空港は隣接するマンチェスターの空港よりも小規模のもので、以前は便数もほとんどありませんでしたが、格安航空会社の就航によって発展、1998年から2007年までの10年間で年間利用客数が約7倍に増えました。

9.マルコ・ポーロ国際空港(ヴェネツィア)
イタリア北東部、「水の都」「アドリア海の真珠」で有名なヴェネツィアの空の玄関。日本からは、以前東京・成田から直行便が飛んでいましたが、半年前から運休しています。ヴェネツィア湾の内部にできた潟「ラグーナ」にできている都市ヴェネツィアは、古くから水上都市として栄え、いくつも張り巡らされた運河をゴンドラなどの船舶が往来するのが、今でも街の主要な交通手段となっています。2007年には年間利用旅客数が700万人を突破、イタリアでも4番目に忙しい空港となりましたが、その後も利用客は増え続け、2002年に完成したばかりの新ターミナルでさえもキャパシティの限界が来ているとのことです。ちなみにマルコ・ポーロ国際空港というのは、ヴェネツィア出身の旅行家マルコ・ポーロにちなんでつけられた別称で、ヴェネツィア・テッセラ空港が正式名称となっています。

10.レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港(ローマ)
イタリアの首都、ローマの空の玄関。日本から東京・成田から直行便が飛んでいます。ローマ第2の空港として、1961年に開港、その後航空輸送の需要の高まりから増便が行われるたびに拡張を繰り返してきました。現在は4本の滑走路を持ち、イタリアではミラノと並んで国内最大規模の国際空港となっています。ルネッサンス期の芸術家・発明家のレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんで名づけられましたが、マルコ・ポーロ国際空港同様、レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港というのもまた別称で、正式名称は空港の所在地から、フィウミチーノ空港となっています。日本からは過去にJALの路線や大阪からの路線もありましたが、現在は運休され、定期便以外では繁忙期にJALが東京・羽田からチャーター便を飛ばすに留まっています。

番外編1:高知龍馬空港(高知県南国市)
さて、これまで空港を10個も上げてきて、読者の方々も疲れてきた頃かと存じます。僕も書きながら疲れてきました。ここからは番外編として、日本国内で人名が付いている空港をご紹介します。
トップバッターは、高知県南国市にある「高知龍馬空港」。旧日本海軍の基地であり、今でも掩体壕が残る場所が空港として開港したのが1960年。2003年に、幕末に薩長同盟の立役者となるなどで有名な土佐藩郷士の坂本龍馬の出身地である高知の空港ということで、「高知龍馬空港」という愛称が与えられました。空港から少し西へ向かえば、太平洋を望む坂本龍馬の像で有名な桂浜もあります。2007年には大阪発の全日空1603便(ボンバルディアDHC8-Q400型機)が、ノーズギアが出ないトラブルを起こし、胴体着陸する事故がありました。現在は東京・羽田や大阪・伊丹、名古屋、福岡に定期便が飛んでいます。余談ですが、「高知龍馬空港」がある南国市は、戦国武将の長宗我部元親の出身地でもあります。

番外編2:米子鬼太郎空港(鳥取県境港市)
こちらは人名?というよりは創作物の登場キャラクターの名前を冠した空港です。鳥取県境港市にある「米子鬼太郎空港」。防衛省が管理していて、航空自衛隊美保基地と民間の航空機が滑走路を供用する空港となっています。滑走路の一部が中海に突き出している複雑な構造となっていて、国内では数少ない、鉄道駅が直結している空港でもあります。漫画家の水木しげる氏の出身地が鳥取県境港市であることにちなんで、水木氏の代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の主人公「鬼太郎」の名前を冠した愛称が2010年につけられました。現在は東京・羽田とソウルに定期便が飛んでいます。以前は東京・成田や神戸、沖縄にもスカイマークが定期便を就航させていましたが、スカイマークが破綻したため、これらの路線は運休となってしまいました。

番外編3:鳥取砂丘コナン空港(鳥取県鳥取市)
こちらも創作物の登場キャラクターの名前を冠した空港です。その名の通り、空港の周辺は砂丘で、すぐ北には日本海が広がっています。漫画家の青山剛昌氏の出身地が鳥取県内であることにちなんで、代表作「名探偵コナン」の主人公「江戸川コナン」の名前と、鳥取県の観光資源でもあり、日本最大の砂丘「鳥取砂丘」から、それぞれの名前をとって、「鳥取砂丘コナン空港」という愛称が2014年11月につけられました。現在は東京・羽田に定期便が飛んでいます。

番外編はここまでです。それでは本題に戻りましょう。

11.ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)
アメリカ北東部にある世界規模の大都市、ニューヨーク最大の国際空港です。日本からは東京・成田から直行便が飛んでいます。世界の中心地としても知られるニューヨークは、アメリカを代表する都市でもあり、世界各国から多数のフライトが乗り入れています。その数は、50ヶ国100社弱、一日に400回もの離着陸が行われます。国内線は格安航空会社の就航などで、その倍近くの離着陸があり、ラッシュアワーには4本ある滑走路でも処理しきれず、空港内で航空機が溢れかえり、渋滞が発生するほど。YouTubeには、混乱した航空管制官とパイロットとの緊迫のやり取りを録音した動画も公開されています。ターミナルも全部で9つ、敷地の広さは東京の空の玄関である成田国際空港が2つ分入るほど。開港したのは1942年で、ゴルフ場だった場所を転用する形で開港。1948年には国際空港となりました。1963年に、同年に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の功績を称え、ジョン・F・ケネディ国際空港という正式名称になりました。1976年にパン・アメリカン航空が東京との直行便を開設、同年から2003年までは超音速旅客機コンコルドが就航、2001年9月11日の同時多発テロでは真っ先に閉鎖され、2008年には2階建ての大型機エアバスA380が北米初就航など、数々の歴史に残る舞台としても有名です。世界都市ニューヨークの国際空港として、映画やドラマの舞台にもなっています。

12.オヘア国際空港(シカゴ)
アメリカ北部、ミシガン湖に面したイリノイ州最大にしてアメリカ第3の都市、シカゴの空の玄関。日本からは東京・成田から直行便が飛んでいます。建設が始まったのは第二次世界大戦中の1942年。1949年に、第二次世界大戦のエースであるエドワード・ブッチ・オヘアにちなみ、オヘア国際空港となりました。現在ターミナルは4つ、滑走路はなんと8本もあり、2005年までは離着陸回数が世界で最も多い空港となっていました。古くからシカゴが貿易の拠点として栄えていたこともあり、世界各地からの貨物便も多数就航しています。

13.ハーツフィールド・ジャクソン国際空港(アトランタ)
アメリカ東部、ジョージア州の州都にして最大の都市であるアトランタの空の玄関。日本からは東京・成田から直行便が飛んでいます。1925年の開港以降、就航している便数は年々増え続け、ターミナルや滑走路を増やしても混雑が緩和されては増便して元通りの繰り返し。古くから綿花の栽培などで栄え、大型企業の本社があるなどの経済都市として発展した一方、1994年にはオリンピックも開かれるなど、絶えることなく成長を続けるアトランタの空の玄関として機能しているため、先述したとおりにフライトは年々増え続け、2005年まで世界一忙しい空港だった、シカゴのオヘア国際空港を抜いて、現在でもアトランタのハーツフィールド・ジャクソン国際空港が世界一忙しい空港となっています。空港の発展に尽力した元アトランタ市長のウィリアム・B・ハーツフィールドと、初の黒人市長であるメイナード・ジャクソンから、それぞれの名前を取り、2003年にハーツフィールド・ジャクソン国際空港となりました。

14.プリンセス・ジュリアナ国際空港(オランダ領セント・マーチン島)
カリブ海に浮かぶオランダ領セント・マーチン島の空の玄関。日本からの直行便はありません。1942年に軍用の飛行場として開港した後、1948年に民間空港としてオープン。その当時のオランダ王女のユリアナ(Juliana)が空港名に入りました。小さな島に唯一の国際空港には、美しいビーチでのバカンス目的で訪れる観光客を大勢乗せた大型機が押し寄せます。2300mしかない滑走路を目いっぱい使う必要があるボーイング747やエアバスA340などの大型機が離着陸する際、滑走路のすぐ手前にあるビーチが恐ろしいことになります。まず着陸時、頭上スレスレを大型機がかすめていくのです。離陸時ともなると、ジャンボジェットの高出力エンジンから噴き出される物凄い風に、何かにしがみつかないと飛ばされてしまうほど。空港とフェンス一枚隔ててビーチがあるこの島の空港も世界的に人気ですが、その危険性をもってすれば、ある番付番組では、世界で最も危険な空港ランキング4位にランクインしています。拡張しようにもビーチと山に囲まれた場所に空港があるため、空港の施設なども制約を受けてしまい、さらに小さすぎるターミナルや老朽化した施設が今後の課題となっています。

いかがでしたでしょうか?世界中にはこの他にも空港名に偉人の名前が入っている空港がたくさんあります。ご旅行などで出かけた際には、ぜひ一度空港の名前も気にしてみてくださいね。

書き始めてから公開まで2週間も放置していたのはお許しくださいw

1 件のコメント:

  1. 帝国陸軍兵2015年9月21日 17:47

    名前のついた空港なんて初めて知りました…

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