あれ? こんばっはーって何でしたっけ? やっはろーの仲間か?
で、マテゴって言うと、霊体物質化能力だっけ?
ああ、ちょうどいい。今回は幽霊の話をしましょうか。
「幽霊を信じるか、否か」という話は、もはや使い古され、そろそろ「ナウい」などの死語と共に歴史の遺品として、博物館に展示されそうな勢いですが、もしかすると、案外生きた化石とか言われながらも、シーラカンスやゴキブリのように生き残るかも知れないので、僕はこの平成の世の中、IT化が進む世の中に逆行するように、幽霊について語ります。
まず、僕は幽霊とかゴーストと呼ばれる存在は実在すると思います(実在という表現が正しいなら)
幽体とか霊体とか肉体とかそういう言葉の定義とかはよくわからないので、ようは死者か何らかの形でこの世に残っている状態を幽霊とします。
僕が幽霊をどのような存在として受け入れているかというと、
①物理的なモノを持っていない
②死者の強い感情の塊
まあ、コレに尽きるでしょうね。
①は当然。物理的に存在したら、歩いていたら幽霊とぶつかるなんていうファンタスティックな日々を送ることになります。し、物理的に存在していたら、誰の目にも映るし、誰の耳にも聴こえることになります。
②はこう、思うのが妥当という程度ですね。もし死者が無条件で幽霊になるとしたら、おそらく、地上すべてが満員電車状態です。
なので、僕は幽霊とは、死者が強い感情を抱いたとき、その感情を晴らすためにこの世に残る状態だと思うのです。
幽霊に怖いイメージがあるのは、負の感情の方が、強くなりやすいためでしょう
見えるのと見えないのとの差は何か。
これは、可聴域みたいなもので、強い感情を持った幽霊ほど、一般的な可視霊域(僕が今考えた)の中に入り、弱いと可視霊域の外になる。ただし、可視霊域が広い、いわゆる霊感があると、それすら見える。
また、人の可視霊域はその人の感情によって変わり、幽霊自体の見えやすさも天気や時間によって変わる。
心霊写真が多い(もちろん大半は偽物)のは、ケータイのカメラが赤外線を撮ることができるみたいな話です。
ちなみに、可視霊域は可視だけでなく可聴も含みます。
僕は見たいと思いますが、相手は感情が剥き出しの存在なので、一度見たらもう見たくないと思うと思います。
なので、芸能人(彼らに芸能があるなしは別)が専門家と共に心霊スポットに行くとかは眉唾ですね。
本物の専門家なら、自らその場には行かないでしょう。
いや、テレビで霊感があるとかなんとか言ってるのは全部眉唾です。本当に見える人はそれを公言したりはしない。
ああ、感情の塊であればいいので、生き霊も存在すると思います。
〜オススメ小説&作家佰選その拾弍〜
その拾弐!
と、いうことで、今回は幽霊の話をしたので、このシリーズを
「〈心霊探偵 八雲〉シリーズ」(神永学著)
☆どんな人にもオススメ☆
ジャンル:心霊探偵小説
ミステリ小説でありながら、心霊。
死者の魂が見える眼を持つ青年と、彼を取り巻く人たちの物語。
幽霊を通して、生きた人間を見つめる。そんな物語。
幽霊を通して、生きた人間を見つめる。そんな物語。
僕の幽霊の考え方はこの小説に強い影響を受けています。
これは、救いの物語です。
僕はこれを読んでから幽霊の存在を信じたいと思いましたね。
と、いうことで、今回は論理的でない話しかしませんでした。
最近数学とかの話が多かったので、たまにはいいでしょう。
幽霊の不存在の証明は、存在の証明よりも難しいですから、否定はされないでしょう(こういうのを悪魔の証明と言う)が、まあ、全ては僕の意見でしかありませんから、全てを真に受けないで下さいm(__)m
僕はこれを読んでから幽霊の存在を信じたいと思いましたね。
と、いうことで、今回は論理的でない話しかしませんでした。
最近数学とかの話が多かったので、たまにはいいでしょう。
幽霊の不存在の証明は、存在の証明よりも難しいですから、否定はされないでしょう(こういうのを悪魔の証明と言う)が、まあ、全ては僕の意見でしかありませんから、全てを真に受けないで下さいm(__)m
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